Aversion P2

 神田を気にしていないと言ったくせに、大量の料理を次々平らげつつ、時折、視線を神田の方に向けてしまうアレン。
 そんなアレンの様子が可笑しくて、リナリーはつい微笑んでしまう。
(兄さんのせいで、アレン君と神田の出会いは最悪だったんだけど…)
 弟子のアレンがそちらに行くので頼む、と書かれたクロス元帥から紹介状を、リナリーの兄であるコムイ室長は放っておいた。そのため、アレンは黒の教団にやって来た時、アクマの手先と間違えられ、神田に剣を突きつけられる羽目となったのだ。 
 その後、神田はアレンをモヤシよばわりして、ちゃんと名前を呼ぼうとはしない。アレンの方も神田を無礼だと言い、二人の間に友好的な雰囲気はないようだ。もっとも、神田は誰に対しても無愛想なのだが。そして一見礼儀正しく見えるアレンも、実はけっこう口が悪い。神田とアレンのお互いに悪口雑言の応酬という口喧嘩をリナリーは目撃している。まるで子どもの喧嘩のようで可笑しかったが、エスカレートして、二人がイノセンスを発動させかねない所で、リナリーは仲裁に入ったのだった。 
(神田も昔に比べれば、口が達者になったわよね。もっともキツイ言葉ばかりが多いけど)
 リナリーは、自分が神田と初めて出会った時のことを思い出す。

 あの頃、自分はまだ幼く、黒の教団に連れて来られて3年近くがたとうとしていたが、未だにこんな所は大嫌いだと思っていた。家に帰りたいと焦がれるあまり、何度も脱走を試みて、その度に失敗していた。
 あれは、いったい何度目の脱走の時だったろう。
 夜更け、リナリーは部屋を抜けだし、人気のなさそうな回廊を選んで進んだ結果、月明かりに照らされる中庭へと出た。
 そして、その中庭の人影にと気づき、リナリーは急いで円柱の後ろに姿を隠した。
 そっと様子を伺うと、その人物は何やら剣を持っているようだ。尚も注意深く見ると 剣を振るって稽古をしているようだが、大人ではなかった。
 その人物が突然ピタリと動きを止めた。
「!」
 リナリーの隠れている円柱の方にすっと頭を向け、凝視している。
 どうやら気づかれたようだ。 束ねた長い黒髪が夜風に揺れているのが見てとれた。
(私と同じ東洋人の女の子?)
 リナリーは円柱の影から姿を現して、その人物と相対する。
(違う。男の子…よね)
 庭にいるのは自分より少し上ぐらいの歳の少年だ。
「あの…、こんばんは」
 じっと動かぬ少年にリナリーは挨拶してみる。
 少年が無言のままなので、リナリーは様子を見ながらゆっくりと歩み寄った。
 少年が片手に持つ剣は、成長途中の身体にはまだ大きすぎるようだが、月明かりに妖しい輝きを放つそれは、東洋人の少年の端麗な容貌をさらに際立たせている。 この世の者ではないようにさえ見え、何だか夢をみているような気にさせられた。
(…私と同じ中国人なのかしら?)
 リナリーは試しに母国語の中国語で話しかけてみた。だが、彼には通じないようだった。 今度は、教団の共通語である英語を使ってみる。
「私の名前はリナリー。あなたは?」
「神田」
 答えが返って来た。
「どこから来たの?」
「日本(ジャパン)」
(日本人なんだ)
 リナリーもその島国のことは知っていた。
 さらに、歳をきくと自分より二つ上の10歳だという。 そして、彼はどうやらこの教団に連れて来られたばかりのようだった。 英語にも慣れていないようで、たどたどしい片言。 リナリーの方はといえば、中国の彼女の住んでいた所では、状況に応じて英語も使われていたので、日常生活に支障がないくらいに英語には馴染んでいた。 こんな所に連れてこられて、満足に言葉も通じないのでは、きっと私以上に故郷に帰りたいのではないのだろうか。 そう思ってリナリーは尋ねた。
「あなたは、おうちに帰りたくないの?」
「…ドコニイテモ、オナジ」
 片言の英語で無表情に神田は答えた。
「そう、私は脱走するところなのよ。一緒に来ない?」
 そう言うと、神田は怪訝そうな顔をした。
「ダッソウ…?」
「私は、自分のおうちに帰りたいの」
 意味は通じたようで、神田はその言葉に微かに眉根を寄せた。
 おそらく、この少年には教団を脱走する気はないのだろう。ここに身を置く覚悟をしているようにも感じられた。
「…剣のお稽古、邪魔しちゃったね。…そうだ。お稽古したいなら丁度いい場所があるわよ。教えてあげる」
 脱走を繰り返したおかげで、少なくともここに来たばかりの神田より、リナリーは教団の構造を把握していた。
 神田の手を引くと、少年は戸惑ったようにリナリーを見た。だが、手を振り払うこともなく、彼はそのままリナリーに手を引かれ、ついてきてくれた。

「ほら、ここ。この森の方が中庭よりずっと広くていいでしょ」
 リナリーは、そう言って辿り着いた森を指し示す。 そこは教団の建物を取り巻く森だった。中でもこの場所は、散歩するような道もないので、わざわざ訪れる人もないだろう。
「じゃあ、私は行くから」
 リナリーは案内するために神田と繋いでいた手を離す。 その途端、感じていた相手の手の温もりが消えて、なんだか心細くなる。 それでも、家に帰るのだと気を取り直す。 知り合ったばかりの日本人の神田に知っている日本語の挨拶で
「さよなら」
 と言って手を振り歩き出した。 自分の母国語でリナリーに挨拶された神田はちょっと驚いたようだが、次の瞬間、今度はリナリーの方が神田に腕を掴まれ、引っ張られた。
「ちょっと…!?」
 リナリーは抵抗しようとしたが、神田は構わず、リナリーを強い力で引っ張って教団の建物にと戻って行く。そのまま、ほとん神田に引きずられるようにして、結局リナリーは、先ほど神田と出会った中庭まで連れ戻されてしまった。そこまで来て、やっと神田は手を緩めた。
「ちょっと…!、どういうつもり!?」
 驚き半分、怒り半分でリナリーが神田を睨む。 だが、神田の双眸はリナリー以上に険しい。
「脱走スルナラ、俺ノ見テナイトコロデシロ」
 片言だが静かな口調だった。
 この少年は、リナリーの脱走を見逃してはくれなかったのだ。 いや、そうではない。こんな暗い夜更けの中、少女のリナリーを一人彷徨い歩かせたくはなかったのだろう。
 強く引かれた手は温かかった。
「わかったわ」
 リナリーは言った 。
 脱走をあきらめたわけではない。リナリーはどうしても家に帰りたかった。
「脱走は、あなたが見ていない時にする」
 リナリーが微笑むと、神田の険しい眼差しが少し緩んで、代わりにその目に哀しげな色が浮かんだ。
「安心して、今夜は大人しく部屋に帰って寝るから」
 今度は英語で
「またね」
 と神田に挨拶する。
 無言のままの神田を後にリナリーは自分の部屋に向かって歩き始めた。途中で振り返ると、中庭に佇み、こちらを見ている神田の姿があった。その姿が、美しく、そして悲しい存在にみえるのはなぜだろう。
 少年に月明かりが似合いすぎるせいなのかもしれないと、リナリーは思った。

 

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