Aversion P3

 リーバーが神田と出会ったのは、教団に赴任し、シュテイン博士の助手となって半年ほどたった頃だった。ファインダーに連れられてシュテインの研究室にやってきた東洋人の少年にリーバーは瞠目した。
(すごく綺麗な子だな)
  長い艶やかな黒髪、切れ長の黒曜石の瞳、色白の肌。女の子と間違えそうだが、その物腰から男の子だろうと思った。腰には細身の長剣を携えている。まだ幼いが、この少年はエクソシストらしい。
「こんにちは」
  とリーバーは声をかけてみたが、少年は上目遣いのキツイ目でチラとリーバーを見ただけだった。殆ど無表情な様は、まさしく綺麗なお人形といったところだろうか。
「まだ、あまり英語を喋れないんですよ」
  少年を連れて来たファインダーが言った。
「そうなんだ。この子はどこの出身?」
「日本です。年齢は10歳、神田と言います」
  ファインダーが少年の代わりに答える。
「リーバー、その子を診察台に」
「あ、はい」
  シュテインに言われて、リーバーは、少年を診察台に導く。 シュテインの知識は幅広く、あらゆることに精通している。エクソシストのことについても当然詳しいので、リーバーは、シュテインがこの神田という名の少年エクソシストを体調管理のために診察するのだろうと思った。
「上着を脱いで」
シュテインが言ったが、わからないのか、診察台に座った神田は脱ごうとはせず、険しい目でシュテインを睨んだままじっとしている。同伴したファインダーが日本語で何やら神田に声をかけて、上着を取り去った。 シュテインは神田の左腕を取ると、シャツの袖を捲りあげた。そして、少年の白い腕の内側を興味深げに見る。
「すでに痕さえも残っていないのか。大した回復力だ」
「どういうことですか?」
 リーバーが尋ねると、シュテインは、三日前には少年の腕のこの場所には大きな傷があったのだと説明した。三日前。その日、リーバーは丁度休日で研究室にはいなかった。その時に、この少年はここに傷の手当てを受けに来たのだろうか。
「怪我を? でも…」
 シュテインが言うとおり、少年のすべらかな腕には微かな傷跡さえも見あたらないのだ。
「次は他の場所で試してみよう」
(え!?)
 シュテインのその言葉をリーバーは訝しんだ。
(試すって?)
「シャツを脱がせて 」
 シュテインがファインダーに命じた。おそらく、このファインダーは日本語がわかるために神田の世話係として選ばれたのだろう。神田を宥めるように日本語で話しかけ、少年のシャツに手をかけた。だが、少年はその手を振り払い、自分でシャツのボタンを外し始めた。少年がシャツを脱ぎ去ると、その裸の胸に描かれているものが、リーバーの目を惹いた。
(入れ墨? この模様の形は…梵字か!?)
  言語学はリーバーが学んできた学問の一つなので、梵字も少しはかじってはいる。少年の胸にあるのは“おん”という梵字だ。なぜそのようなものが少年の胸に描かれているのだろう? 不思議に思うリーバーの横でシュテインが言った。
「この文字が気になるか、リーバー?」
「はい」
「では、今回はこの文字を横切るように切ってみるとしよう」
「え?」
シュテインはメスと取りだした。
「博士、ちょっと待って下さい。何を!?」
 驚くリーバーに構わず、シュテインは神田に言った。
「痛いのが嫌なら麻酔をしてやる」
 それをファインダーが訳して伝えようとするが、伝えるより前に神田にはシュテインが言った内容がわかったようで、首を振った。
「博士!…まさか、この子に…」
 傷を負わせるというのか!? 三日前にあったという腕の傷もシュテインによってつけられた傷だったのか!?
「そんなことは…!」
 人道的に許せないと憤慨する口調のリーバーを制するようにシュテインが言う。
「これは謎を解明するための実験なのだよ、リーバー。この謎が解明されれば、多くの、いや全ての人々の役にたつのだ」
「こんな子どもに何を!」
「成人で同じ能力を持っている者がいないのだから仕方がない。この子で試すしかないのだ」
「能力?」
「この子は、瓦礫の下、瀕死の状態で発見されたにも関わらず、翌日には平然として動き回っていたそうだ」
「え?」
「並はずれた、いや、異様ともいえる回復力だ。この子を調べることで、煉金の究極、不老不死への鍵さえもが見つかるかもしれぬのだ」
 いつもは威厳のある落ち着いた物腰のシュテインが熱を帯びた口調で語る。
「いつでも新しい発見のためには多少なりとも犠牲が伴う。この子は、聞き分けのいい子だ。自分の身体を調べることが他の多くの人々を助けることになるかもしれないと説明したら、協力に同意してくれたのだよ」
 確かにそうかもしれない。だが、リーバーは納得しかねた。
「でも…、他に方法がないんですか?」
「あらゆる方法を試みるべきだ 」
 リーバーの言葉をシュテインは一蹴して取り合わない。
「麻酔なしでいいそうだが、痛みで暴れると危ないからな」
 シュテインは神田の手と足を拘束具で診察台に括り付け始めた。 神田は大人しく、されるがままだった。
 気丈な子だ。
 シュテインのメスが、自分の胸の梵字を横切って裂いていく時さえ、目を見開いたまま耐えていた。声さえもあげずに。見守るリーバーの方が悲鳴をあげそうになった。少年の胸にみるみる滲んでいく鮮血…。

「明日また連れてきてくれ」
 とシュテインがファインダーに命ずる。
 少年の胸には白い包帯が巻かれ、痛々しい。

 リーバーの胸に疑問が擡げる。
 シュテインのことは尊敬していた。
 確かに、あの少年の驚くべき回復力を解明することができれば、人々に有用なのかもしれない。だが、そのために少年を傷つけていいものだろうか?
 犠牲…。
 家族を新薬や手術の実験台にした医者や科学者の話は聞いたことがある。その結果は、悲惨な場合もあるが、その犠牲のおかげで新たな道が開けた例も多くある。 犠牲がなければ成り立たないこともある。
 だが、割り切れずにリーバーは気持ちを重く沈ませる。 そんなリーバーを助手にして、シュテインの神田に対する実験は続けられた。
 身体に傷を与え、その経過をデータに取る。 裂傷、擦過傷、火傷、凍傷、打撲。
 いずれも次の日には、少年の身体は元通りで痕も残っていなかった。
 それでも、身体を傷つけられば、痛みを伴うはず。
 少年の忍耐強さには感嘆するしかなかった。
 神田が実験で傷つく度に、リーバーは、自分の中で何かが抉られていくように感じていた。

 「この回復力は遺伝的な可能性も考えられる。だが、神田の肉親に関しては不明で確かめようもない」
 ある日、シュテインが言い出した実験はとんでもないものだった。
「もし、神田が子を持ったとして、その子にはこの回復力が備わるものだろうか?」
 シュテインは診察台に寝かされている神田を見てしばらく考えている様子だった。
「リーバー」
「はい」
「生殖能力はあるのか試してみる必要があると思わないか。できれば、精子を採取したい」
「え!? それは、どういう…」
 何を言い出すのだろうとリーバーは驚く。
 神田の四肢は診察台に拘束され、上半身の衣服は取り去られていた。 診察台の傍らには、いつものファインダーが控えている。 シュテインは神田のズボンに手をかけると引きずり降ろした。少年は瞠目し、ビクリと身を震わせた。自分の性器が人前に晒されるのは、さすがに耐え難いことだったのだろう。身を捩るが、拘束された身体はままならない。シュテインは少年の性器に手をかけると、擦り始めた。
「博士…!」
 リーバーは、その行為に驚いた。
「萎えたままだな」
 シュテインは平然と言い放つ。
「東洋人は性的な発育が遅いようだ。まだ精通がないのか? それとも、性欲を喚起させる必要があるのか?」
 シュテインはいったん手を止めた。いつもは無表情な神田の顔が羞恥と怒りに染まり、シュテインを睨みつけている。だが、シュテインの方は構わず、注射器を用意すると、そんな神田の腕を取る。
「それは…?」
 少年に何を打とうというのだろう。リーバーが尋ねると、シュテインは
「催淫剤だ」
 そう言って、少年の腕に針を突き刺した。
「なんですって!?」
「リーバー、手伝いたまえ。彼の性器を刺激して、射精を促すのだ」
 リーバーは呆気に取られた。
「……こんなことまでする必要があるんですか!?」
「これは必要な実験だ」
「出来ません!」
「リーバー」
 たしなめるようなシュテインの声にも抗う。
「必要とは思えません!」
「わかった。では、おまえは邪魔だ。向こうで書類の整理でもしていろ」
 従順だと思っていた助手に逆らわれ、シュテインはムッとしたようだった。 神田についていたファインダーを呼ぶと、
「手伝いはおまえに頼もう」
と言う。
「どんな方法でも構わぬ。神田が充分に発育しているようなら、その精子を採取したい」
 言われたファインダーの男の方は戸惑っているようだ。
「博士!」
 思いとどまるようにと声をかけたリーバーにシュテインは
「どうした、さっさと向こうへいかんか!」
 威圧的な態度で対応する。
 リーバーは憤然として実験室に隣接する資料室へ向かった。
(くそっ!)
 ドアを荒々しく閉めると、やり切れない思いがこみ上げる。 言われた通り、整理途中だった書類を片づけようと手にとる。バサバサと荒っぽく書類を重ね合わせはしてみるが、頭は混乱して整理どころではない。無駄に書類を出したり、しまったりしているだけだった。
 天才の誉れ高いシュテイン博士に若輩の自分は盲目的に従ってきた。 しかし、あんなことは、やはり、おかしい。
 ここにきてリーバーは、やっとシュテインに対する不信感が明確となってきた。 なんと言われようと、やはり止めさせるべきだ。
 そう思った瞬間、リーバーは、少年の悲鳴を耳にした。
「!?」
 神田のあげた悲鳴にリーバーは思わず、書類を放り出し、研究室のドアをあけた。
「何を・・・!」
 そこで見た光景に思わず絶句した。
 神田の足の拘束具は外されていた。
 その脚を抱えて、開かせ、ファインダーの男は、己の逸物で少年の身体を貫いていた。 その激痛に神田が悲鳴をあげたのだ。
「やめろ!」
 ファインダーの男を神田から引き離そうとしたリーバーだったが、シュテインの腕に制止された。
「邪魔をするな、リーバー! データを取るためだ」
 リーバーはシュテインの腕を強く振り払い、その勢いで老博士はよろめいた。 行為の最中のファインダーの男を力ずくで引き離し、殴り倒す。
「だからって、こんなこと!」
 シュテインは、ファインダーの男に言っていた。どんな方法でも構わぬから、と。その方法がこれか? 少年を陵辱することなのか!?
(…馬鹿だ。俺は馬鹿だ! 何としても止めるべきだったのに!)
 リーバーは激しく悔いた。大人しく引き下がり、書類整理などしている場合ではなかったのだ。
 診察台の上の神田を見る。
 全裸にされた少年の肢体は美しく、艶めかしかった。 ファインダーの男の劣情に火を付けるには充分すぎる。 催淫剤を投与されたせいなのか、白い肌は火照って微かな桜色を帯びている。 結わえていた長い黒髪は抵抗して暴れたのだろう、解けて乱れていた。
「神田…」
 催淫剤がストイックな性質を緩めたせいもあるだろうが、普段は気丈な様子の彼が、涙をポロポロと零していた。 無理矢理、大人の男の逸物を受け入れさせられたせいで、秘部は傷つき、出血している。
「…すまない」
 リーバーは、まだ拘束されたままの神田の腕を解いた。 おそらくは逃れようと藻掻いたのだろう。拘束具を取り外した手首は、擦れて赤くなっていた。リーバーに殴られたファインダーの男は、ばつが悪そうに身繕いを整え、壁際に退いている。
「必要なことなのだ」
 シュテインが言った。 彼の目は尚も冷たく神田を観察していた。それは人間を見る目ではないようにリーバーには思えた。そう、シュテインは、東洋人を自分と同種の人間だとは思っていなかったのかもしれない。新米なのに、同国人ということでリーバー登用したのも、どこか国粋主義的だ。
「非道い人だ」
 リーバーはシュテインに言ったが、その言葉はちゃんと耳に届いていたかどうか。
「神田は、まだ性的には未成熟だったようだな」
 神田の精神的打撃など省みないシュテインの発言。
 リーバーは怒りに駆られたが、それよりも今は、手当が先だ。消毒された洗浄綿で、神田の白い肌に流れた血の痕を拭き取ろうとしたその時、神田の裸身がビクリと跳ねた。
「神田!?」
「う…、うう…ッ!」
 少年は胸を押さえて苦しみ始めた。
「どうしたんだ!?」
 酷い激痛に襲われているようで、左胸を押さえたまま身体を丸め痙攣している。
「神田!」
 異常な状態に驚いてシュテインも診察台の神田を覗き込む。
 神田の顔色がみるみる青ざめ、あまりの痛みにもはや声さえも出せぬのか、荒く乱れた呼吸だけがふいごのように漏れる。リーバーはどうしていいのかわからず、神田の名を呼びながら、少年の肩に手をかけた。途端、少年の身体がぐったりとした。
「神田!?」
 気絶したのかと思ったが、恐ろしいことにリーバーは少年が呼吸をしていないことに気が付いた。
「心臓が止まっている…」
 神田の様子を見てシュテインが言った。
 リーバーは愕然とした。
「……そんな!」
 少年は死んでしまったというのか。いったいどうして!? 何か重大な疾患があったのか?それとも…。
「あの薬のせい…!?」
 リーバーが思わず神田に投与された催淫剤のことに言い及ぶと
「あの薬は安全だと確認されている」
 とシュテインは反論した。
 多少の動揺はあっただろうが、それでもシュテインは落ち着いていた。神田に心臓マッサージを施し始めた。
 シュテインが心臓マッサージを続ける時間が、リーバーにはとてつもなく長い時間のように感じられたが、実際には数分というところだったろう。 やがて、少年の身体がピクリと動いた。続いて微かに呼吸をし始めた。 シュテインはリーバーに呼吸器を持ってこさせ、神田に取り付け、呼吸を助ける。徐々に神田の息遣いが確かなものになってくる。
 少年が死を免れたことで、リーバーは安堵した。 神田の手首を取り、脈診してシュテインが言った
「脈拍に乱れがあるが、もう大丈夫だろう。しかし、いったい原因はなんだ? 神田は健康体のはずだ。もちろん心臓疾患もなかった」
 並はずれた回復力は変わらぬようで、神田の手首にあった拘束具による擦過傷も既に消えている。
「もう一度、調べ直す必要があるな…」
 シュテインは呟いた。

 

NEXT→