「僕の妹もここにいるんですよ。エクソシストとしてね」
コムイの言葉にリーバーは、お茶を飲みかけた手を止めた。
赴任してきたばかりのコムイの部屋はまだ荷物がちゃんと片づけられてはいないが、ティーセット一式は、お茶好きの中国人らしく、すぐに用意できるように置かれていた。
コムイがいれてくれた中国茶からは、温かな湯気と好ましい香りが立ち上っている。
「妹が?」
「何度も脱走を繰り返したそうだ」
リーバーは、コムイの妹が誰か思い当たった。
「…リナリー・リーですか? あなたの妹は?」
「そう。彼女はごく幼い頃にここに連れてこられたんだ。久方ぶりの再会というのに、リナリーは逃げ出さないようにとベッドに拘束されていたよ」
「………」
リーバーは言葉もなかった。そんな妹の姿を見て、この兄はどう思っただろう。 コムイはお気に入りだという中国茶の注がれたカップを優雅な手つきで口に運び、ゆっくり一口飲むとテーブルに置いた。
「神田くんのデータもみせてもらった。シュテイン博士に説明されたよ」
「え……」
「老人の妄執だね」
そう言って長身の男は、笑みをみせたが、それとは裏腹に彼から静かな怒りをリーバーは感じとった。
「すでに彼は役目を終えた。老兵は去るべきだ。そう思わないかい?リーバーくん」
あまりにもはっきり言うコムイにリーバーはどう答えていいかもわからず呆気にとられた。
「大元帥の方々もそう感じてはいるようだ」
この新任者は、着任したばかりだというのに、自分よりよほど状況を把握しているようだ。先入観に囚われ、シュテインの言葉に従ってしまっていた己を顧みて、リーバーはふがいなく思った。
「…あなたは、とても優秀な方のようですね」
そう言うリーバーに
「君もとても優秀だと僕は思うけどね」
とコムイは笑みを浮かべた。今度は優しい笑みだった。
「色々助けてくれると嬉しいな」
「…俺に、できることでしたら」
そう答えたリーバーをコムイは見据えた。
「…僕はね。ここを、ホームにしたいと思うんだ」
「ホーム?」
「…ああ。これから年ごとにアクマの攻撃は激しさを増すだろう。辛い任務、苛酷な戦いが続く。……だからこそ、エクソシストをはじめとして、この教団に関わる全ての人々がここを帰るべき場所だと思ってもらえるようにしたいと思う」
彼が本気でそう願っているのが見てとれた。その思いにリーバーはうたれた。
「…そうなれば、いいですね」
リーバーの言葉にコムイは微笑んだ。 この長身の新任者に好感を抱いたリーバーだったが、彼もまた天才だが変人だということを、リーバーは後に思い知るのである。
「具合はどうだい?」
医療室の神田のもとを訪れたリーバーはそう声をかけたが、返事はなかった。
神田がヘブラスカの検査を受けてから三日。あれから神田はほとんど喋らない。 ベッドで点滴を受けている神田はあいかわらず傍らに六幻を抱いている。
「食事は?」
付き添っている看護婦にリーバーは尋ねたが、彼女は首を振った。
「受け付けないんです。本人も食べようとはしたのですが、すべてもどしてしまって…」
「そう…」
このままでは体力が落ちていくばかりだ。そして、徒に寿命を縮めかねないのではとリーバーは心配した。 気丈さを持ちながらも脆い危うさを持つこの少年のことを思うと胸が痛くなる。
リーバーはコムイに神田が食事をとれないことを相談してみた。
「じゃあ、神田くんの食べられるものを捜そう」
そうコムイは言い、食堂のコック長ジェリーにできる限りの日本食メニューを揃えてくれるようにと頼んだ。 どうやらコムイとジェリーは気が合うようで、コムイに頼まれたジェリーはいつにも増して張り切って腕をふるった。
ジェリーの料理に関する知識と腕は大したものだ。世界中のどんな料理も彼には作れないものはないのではないかと思えるほどだ。その彼が考えて、今の状態の神田が食べられそうな日本食を用意した。
神田は病室に次々に運ばれてきた日本食に目を丸くした。
設えたテーブルの上に料理を並べて
「さあ、どれがお好みかしら?この中に食べられそうなものはある?」
と料理長のジェリーは神田に微笑みながら問いかけた。
神田はリーバーに促され、ベッドからテーブルの席へと着く。
「どれもこれも美味そうだな」
「ホントに」
リーバーと付き添いの看護婦が口々に言う。 だが、神田はテーブルの前に座ったものの少し困ったような表情だ。 食欲のない神田には目の前のごちそうはむしろ気分が悪くなるものではないのかとリーバーは懸念する。
だが、ジェリーは構わず明るい口調た。
「私のおすすめはジャパニーズヌードルね。ほら、これ、どうかしら。胃にも優しいのよ」
そう言って神田にすすめたのは、“うどん”と呼ばれる麺料理だった。 ちゃんと箸も用意されている。神田はその箸を手にとった。そうして“うどん”を一口啜る。
「こっちはどう? お蕎麦よ」
言われて、神田はそちらにも箸を向ける。 うどんより蕎麦の方に多く口をつけた。そうは言っても常人の食べる量に比べればごく少量である。そして、多くの用意された料理の中で、結局食べたのはそれだけだった。
それでも、食べ物を口にして、今回はもどすこともなかったので、リーバーは少し安堵した。
次の日もその次の日もジェリーは日本食を作って病室に運んだ。神田の食べる量は少しずつ増えてきた。だが、それは蕎麦に限ったことだったが。
一週間ほどすると蕎麦以外のものも食べられるようになり、それからの神田の回復は早かった。この分ならじきにエクソシストとしての訓練も再開できそうな状態にも戻り、リーバーは胸をなでおろした。
そして、神田が訓練を再開した頃、シュテインが職を辞した。
長年教団に貢献してきた功績により、彼には気候のよい土地に彼専用の研究所という隠居先が用意されていた。彼にはそこで不老不死とやらの研究に打ち込んでもらおうというわけだ。
シュテインの引退を手際よく根回ししたのは、どうやらコムイらしいことをリーバーは薄々感づいていた。
そして、シュテインが去った後、新しい室長の地位についたのはコムイ・リーその人だったのである。
教団をホームにしたいとリーバーに語った通り、コムイは色々と改革をはじめた。
設備の改装、人材を適材適所に配置すること。教団をできる限り居心地のいい場所にしようとしている努力が見てとれた。
シュテインはすでに去ったが、ともすれば聖戦という名のもとに上層部から理不尽なことを強いられるのは珍しいことではない。 それでも、良い方向に向かいつつあるとリーバーが思った矢先、事件が起こった。
その日、コムイの執務室で、リーバーは、長期任務から帰還した二人の元帥と同席していた。クロス・マリアン元帥とフロワ・ティエドール元帥である。リーバーは彼らと以前に顔を合わせたことがあったが、コムイは赴任してきてから初対面である。
「まあ、前のクソじじいよりは、マシなようだな」
そう室長のコムイを評したのは、赤毛長髪のクロス・マリアン元帥である。豪放磊落な振る舞いと、元帥でありながら科学者でもあるこの男は、一癖も二癖もありそうな人物である。
「話は聞いているよ。色々と新しい試みをしているようだね。君のような優秀な若者が頑張ってくれていることは、なんとも嬉しいことだ」
クロス・マリアンとは対照的に穏やかな言葉で語るフロワ・ティエドールは人当たりのよさそうな人物だ。やや猫背ぎみで、眼鏡と蓄えた髭の風貌はどこか飄々としている。二人の元帥の自分に対する発言に
「ありがとうございます」
とコムイは微笑みむと、話を続けた。
「ところで、若いエクソシスト見習いを一人、お二方のどちらか面倒を見て頂きたいと考えているのですが。ティエドール元帥はすでに二人の弟子をお持ちでしたね。クロス元帥は?」
「弟子なんぞはゴメンだ」
と即座にクロスが返す。
「マリアンの弟子になった子は不幸というものだ。な〜に、二人も三人も同じだ。私が引き受けよう」
ティエドールがさらりと言う。
「そうしてくれ」
クロス・マリアンは投げやりでどうでもよさそうな調子だ。
「それでは、ティエドール元帥にお願いします」
コムイはそう言うと、ティエドールに資料を手渡した。
「ふ〜ん、神田ユウ、12才、出身地日本。装備型のエクソシストか」
ティエドールは、興味深げに渡された神田の資料のページをめくりはじめた。
と、その時、一人のファインダーが慌てて執務室に飛び込んできた。
「コムイ室長!」
「どうした?」
血相を変えたファインダー言う。
「た、大変です。神田を止めて下さい!」
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